星座早見図

mapping of stars

 

梅田に行って、思ったことメモ。

 

わたしはわたしの大学で良かったなーって思った。あんまり不満はない。他大の作品を見ながら、やっぱり心から好きといえるものは少なくて、わたしの同期たちの作品の方が好きだって思えた。どうも古臭くて、図面書くことにばかりこだわっていて、プレボの彩度めちゃくちゃに低いし、フォントもめちゃくちゃちっちゃくて視認性が悪すぎるけど、やっぱり質はいいと思う。小手先でごまかしたくないって思っていて、純粋に図面がかっこよくあることにこだわっているような感じがする。これはわたしが思っているだけかもしれないけど。やはりわたしは建築は図面だと思っているから!!!

 

パースやレンダリングはいくらでもごまかせるんだよ。なんとなくかっこいい「風」になっちゃう。でもそれって本当にかっこいいの?っていつも思う。それらしいものがそれらしいと認められる世界は好きじゃない。3D立ち上げてパパパって切ったら平立断できちゃうのも素晴らしいとは思うけど、それってお手軽過ぎない?(まあ自分自身がいろいろ言える次元に到達しているとも思えないので戯言くらいに思ってもらえればいいですけど)

 

ようはわたしはどちらかというと古臭い人間で、技術の発達とともにお手軽志向になっているのがあまり好きじゃないんだと思う。映画も然り。十和田と青森県美行った時も、十和田のことあんまり好きになれなくて、いいの?ガラスバキバキでいいの?ってずっと思っていた。壁厚がけっこうあって、RCで、ドスンっていう感じが好きだ。地面から生えているような感じが好き。離れられない感じが好き。だから青森県美の、三内丸山的な、なんだろう、土っぽい質感が残されている感じが好みだった。(まあプランが新しくないとかなんとか友人には言われたけど)内観パース的にもけっこういい感じだったと思うよ?あれ、そんなことない?

 

話は戻るけれどしかしまあ、わたしが「伝える」ということにこだわりたいのなら、やはりもう少しデジタルの技術は獲得したほうがいいし、視認性にもきちんと配慮をすべきだなあとは思った。あとは何度でもいうけど、絵を描くことのハードルが下がらなければ未来はない。図面で思考することは捨てたくないけれど、秋は完成度を高めるための努力をしたい。んー、提出要項を満たす前に伝えるために必要な素材をそろえた方がいいのかもな。そろそろ必要図面にかかる時間も掴めているだろうし。多少リスクを負ってもいいのかもしれない。(結局いつも図面で伝えてなんぼやろ!!!って結論に至ってしまいそうだけど。)やるべきことの順位付けが何より大事だと思うわけです。

 

なんのはなしかね、これ。