星座早見図

mapping of stars

ままごと「わたしの星」

@三鷹市芸術文化センター 星のホール

 

 

そこには、消費されない少年少女がいた。眩しくて、儚くて、生きているなあという感じがした。消費されないで生きる高校生を見るのは久しぶりだったから、なんだかそれはそれで苦しくて、泣き出しそうだった。

 

 

10人の少年少女が板の上に立つ。誰かの旅立ちを、どうやって受け止めたらいいか考える。「わたしたちにとって2年は2年なんかじゃない。」明日わたしたちは9人になって、8人になって、7人になるかもしれない。来年、再来年、その次の年。同じ10人が、10人でいられるだろうか。一度しかない夏。大好きだから、ずっとこの人たちといたいから、だから早く離れなければ、という気持ちは痛いほどわかる。「この島は狭いからずっと2人でいられちゃうの。」わたしと、あなたが、近くにいたら、わたしはこの役割を負って、あなたはこの役割を負うのだろうなあと思う、ずっと。それ以外のことはやらなくてよい、という惰性が生まれる。「あなたはわたしがいなくてもなんでもできる人なのに、わたしがいるからあなたはなにもできない。」痛い。好きだから、あなたを思って、別れなければならないということ、この世界にはあると思う。「生徒会長、学級委員長、風紀委員長、図書館長...。長のつくものはなんでもやってきた。誰もやりたがらないから。」自分だって別にやりたくないのに、みんなに仲良くいてほしいから、楽しくいてほしいから、笑っていてほしいから、引き受けてしまう人。本当はやりたくないのに。本当は得意なんかじゃないのに。そして、本当にみんなが文化祭をやりたい、と思っているかも分からないままに、「みんな、わたしに付き合ってくれていたんでしょう、わたしが一人で騒いでいたのに付き合ってくれていたんでしょう。」言ってしまうのだ。意思決定の責任を負ってしまうと、何かを決めなければならないというプレッシャーに押しつぶされる。あなたとあなたとあなたとあなたが、みんな同じ人なんかじゃないのに、一つの選択肢に統合されなければならなくて、そんなことできるはずがないって分かっているから、誰かが無理しているのではないかと思って顔色を伺ってしまう。自信がないよね。「いつか一人になるのだから、一人にならなくては。」

 

 

「なんでできないって言うの?できるかもしれないじゃん」勝手に自分の可能性を閉ざさなくていい。「好き。好きなの。」女の子は女の子と手を繋いだっていい。「いつも笑っています。でもいつも楽しいわけじゃないよ。もともとこういう顔です。」無理しなくていい、けどずっと笑っていてもいい。「巻き込まれたんじゃないよ、自分で選んだの」自分の人生は、自分の選択の連続で、みんな自分の責任で生きている、わたしだって。「cosmic dance cosmic dance」歌って、踊って、円を描けば、わたしは泣いてしまいそうだ。tofubeatstofubeats

 

 

夏休みが終わろうとしている。八月が溶けた。別れを目の前にして、思うことのたくさんある舞台だった。10人とも、わたしだ。きっとわたしも、選ぶと思う、好きな人たち9人との別れを。