星座早見図

mapping of stars

わが星

 

わが星を観た。何年か前に話題になっていた。

 

この世界は円環。

 

一分一秒を回して、日々を回して、地球を回して、生きている。

「世界が回った!」なんて慣用表現、どこかの界隈では日常語のようにして共通理解をもって使われるけど、あながち間違っていない。世界は一方通行に、前進する方向に、回り続けている。

 

そして自己と他者。

 

<わたし>と<あなた>は同じになれないということ。

わたしが投げかけた言葉はあなたに0.00いくつか秒後に届く。そのときあなたがまなざすわたしは、完璧に言葉を投げかけたわたしと同一ではない。リアルタイムだけど、そこにはいつも時差があって、完璧に生き写すことはできないなあ。

わたしを離れた言葉は、空中を泳いでいる。

 

 

・・・

 

 

わたしはもともと、大きな箱の、きらびやかな世界から演劇(というよりなんと呼べばよいのだろう、ミュージカルかショー)に入った人だけど、ここまで到達するんだなと思ってそれはそれでなんだか感慨深いものがあった。

 

 

・・・

 

 

頭の中で時報がなっている。歩む足が一定になる。一週間はこの音にとらわれる。

ルネ・ラリックの香水瓶

 

高崎市美術館

 

北澤美術館所蔵

ルネ・ラリックの香水瓶

アール・デコ −香りと装いの美−

 

井上邸を観に来たついでに。特別関心のあるテーマでもないのでつなぎようがないといえばないのですが、まあ先は長い人生ですから、この先何があるかわからないじゃない?

 

最終室の、アールデコがモダンへ展開した香水瓶は案外面白くて目を引いた。そして、同行者たちがこぞってその部屋で足を止める様子がわたしにはいたく面白くて、満たされた。何事にも深く関心を向けられる彼らは、いつもこうやって眼差しを向けているのだろうなあと思って、ジーンとくる。世界への愛だなあと思うのですよ、「これはおもしろくない」とつっぱねずに興味がなくても「見てみよう」という姿勢。

 

ちなみに、めちゃめちゃよかったです。レーモンドの井上邸。よい高崎でした。

ライアン・ガンダー −この翼は飛ぶためのものではない

国立国際美術館(NMOA)

 

RYAN GANDER -These wings aren't for flying

 

https://www.instagram.com/p/BTqhyihjqyxk6EoEyKbw6Gj0CeIP8PhM7qii5g0/

アートに疎い民としてはたいてい知らない人なのだけど、こういうふうにひとりやワンテーマを拾い上げてくれるイメージの美術館だ、、。毎度興味を広げて帰れる。

https://www.instagram.com/p/BTqhmkWjgs5qoQNFkbnF52hEDakq3uOe6USOWk0/

帰りがけは駆け込みでNMOAへ。前来た時にキュレーションに惚れ込んだので以来、大阪にきたら行くようにしている

 

これまた過去の記録で失敬。

 

いい美術館なのである。いつもわたしに新しい視座をくれる。いつしかは写真展を観に来たんだったかなあ。記録どこ。

 

ライアン・ガンダー、作品自体への理解は深くないけれど、ああ、これは、思考法やプロセスの話かもしれないと思ったし、別階の2作ずつ並べていく方式は、賢くてずるかった。星つなぎの話だと思う。与えらえた何かと何か。その間に存在する、「何か」。人間は、探してしまうし見つけてしまうし結んでしまうのだ。そういう、人間の性質の話だと思う。ましてや誰か作家という他者が二つ並べたもの。「意図」をこじつけてしまうものですね。

 

 

Open Space 2017 未来の再創造

@ICC

 

そういえば今年もオープンスペース初めしたので、ちょっと前のことだけど記憶掘り返しておく。

年々、蓄積を持って見ると、現代美術アーカイブが読めるようになっていってうれしくて足元見ながらステップ踏んでしまうね。

 

keyword

ミュシャ

アーツアンドクラフツ

ダダ

リートフェルト

カンディンスキー

グロピウス

デスティル

バウハウスの食器

リシツキー

クレーの造形思考

エスプリヌーボー

モホリナギ

VOGUE

フランクロイドライト

ジェームズタレル

ナムジュンパイク

イッセイミヤケ

キースヘリング

 

 

本展は、うーん、いつもの方が刺激的で鮮烈な印象があったけど、今回は「弾道学」について引っかかったらしい。(メモを読みました)

事細かに書いていないので思い出せないけれど、これはジェンダーの話につながっていたはずである。

 

オーラ・サッツ《銃弾と弾痕のあいだ》《銃弾と弾痕のあいだで揺らめいて》

 

www.ntticc.or.jp

 

《銃弾と弾痕のあいだ》は,発射された弾丸などの移動と挙動に関する学問の一分野である弾道学と,初期の数値計算における女性の役割についての映像作品です.1946年にアメリカ陸軍が弾道計算のために開発した最初期のコンピュータ,ENIACのプログラミングには6人の女性が従事していたことが知られています.第二次世界大戦において,弾道研究に従事した女性の主な任務は,二つの既知のデータ(発射地点と被弾地点)から,その間の欠けているデータを推測することでした.作品は,高速弾丸写真,弾丸波画像などの特殊な映像やコンピュータのパンチカードなどを用いて,この二つの点,弾丸と穴,加害者と被害者,存在と不在,といったギャップをいかに読み解くかを考察します.なお,弾道学は,現在の宇宙開発にも応用されるなど,軍事利用に留まらない科学研究分野となっています.《銃弾と弾痕のあいだで揺らめいて》は,その二つの点を見る角度によって絵柄が変化するように,レンチキュラー・レンズを使って制作された作品です.

 

ICCやさしい。検索したら出ていた。インターネットありがとう。

 

実は作品自体は読み解け切れていないけれどこのキャプションの力でわたしの心がねじ伏せられた作品であった。

 

それではまた来年。

エリック・カール展

世田谷美術館

 

https://www.instagram.com/p/BV_pB6UliV_J9Zh1ouf7j-dTJKb1WmP4Qlosfk0/

エリックカール展。最終日目前にして滑り込み。混みすぎてまともに見れていないけど、クレーやマティスにつながった瞬間に泣いてしまいそうになる💫 #ericcarle #setabi #星つなぎです

 

エリックカールが好きなものを平易な言葉にしているのがとてもよかった。エリックカールはモーツァルトが大好き!エリックカールは日本の絵本美術館を見てアメリカにも作った!エリックカールは。。。

 

エリックカールの作品の中にマティスとクレーが飾られていて、それを目にして涙が出た。わたしの好きな絵、ピカソマティス、クレーにカンディンスキー。それからマルグリッドにレオ・レオニ。マルグリッドはちょっとちがうけど、どれも母が小さい頃から見せてきてくれた本にいた絵たちである。わたしは根源的につながっている。そしてもちろんエリックカールも好き。あいふぉんケースぼろぼろだけどはらぺこあおむしだよ。

 

わたしのすきなもの、エリックカールのすきなもの。

星はつながって星座になる。

 

だからこそ、もう少し、引き上げてくれてもよかったなあと思わなくない。

 

 

 

メモ

 

 

 

アンリ・マティス

版画集『ジャズ』より《コドマ兄弟》

 

パウル・クレー

アフロディテの解剖学》

ソール・ライター展

Bunkamura ザ・ミュージアム

 

ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展

 

土曜の昼すぎは結構混んでいた。

 

写真展はTOPぶりだけれど、ソール・ライターはより「視線」を感じてよかった。かなりよかった。絵には視線や視点が介在しない可能性があるけれど写真にはいつも作者がいて、捻じ曲げられない現実があって、そして作者から現実に投げかけられる視線が存在する。

わたしは写真撮るの、へったくそなので、写真撮ってもぼやぼやってするのだけれど、なんでこんなに違うのだろう、今や誰でも撮れる写真の質が、強度が、圧倒的に違う。誰でも写真家になれる今、ほんとうに写真家になるのはどんどん難しくなっていく。本物の写真家の「強度」と「深度」がソール・ライターにはあった。

 

ちなみに大好きだなと思ったのは

 

私は、傘が大好きなんだ!

 

という彼の言葉の一節。たまんない。わたしも「傘が大好き!」なクチなので、うれしくてうれしくて。トップスターになったら傘モチーフでグッズ作ろうかしら。

 

 

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youtu.be

 

ソール・ライターを視たあとに観るこれはほんとうに最高だった。

 

色だろうか、艶だろうか、視線だろうか、言葉にし難いけれども通じているものがあって、心が揺らいだ。方やニューヨーク、方や中国。だけれども日常に巻き込まれたような視線が、逆説的に非日常で、同質に感じた。

 

www.bunkamura.co.jp

空想夢想

この世界は「不快」を叫ぶ人がいたのならそちらに寄り添っていかなくてはならないのだろうか。えっじゃあ「これはいや!」「あれもだめ!」「よくない!」「害悪!」って叫んだ人の勝ちだろうか。もちろん全人類が快適で安全で幸福な世界が実現できるならそれでいいし、たしかに誰かの不快を解消できる形へと持っていく努力は必要だ。でもじゃあたった一人や二人の声のために何千何万の幸福を蔑ろにするのだろうか。あなたのなかで誰かによって何かが壊されてしまって、それで声を上げているのだろうけれど、じゃあその声で今度はまた違う誰かの何かが壊れてしまうよ。言論を制限しようとは思わない。けれどいつだって言葉は凶器で、負に転がった思想は次なる負を呼んで転げ落ちていく。わかったから、わかったから、何を話すのも自由だから、言葉は選ぼう。これは常に自戒を孕む。