フォスター+パートナーズ展:都市と建築のイノベーション
@森美
フォスター観に行ったってよ。
フォスターとの出会いは数年前の受験を終えて暇していたときの一本の映画。フォスターがスキーをしている映画(語弊)。とても鮮烈だった気がする。ろくに建築家の名前も知らない私が、「ひとりの建築家」の映画を観たはじめての体験だった。感想は今度読み返してみようと思うけど。
そんなこんなで、フォスター展。
フラーの色が濃く読み取れて、よかったな。フラーのことバッキーだっけ、って呼べるのすげえってなった。フラーもダイマキシオンかーもすべて、歴史の中のもののように思っていたから。
・作品数がすごい
すさまじい数作ってんだな、フォスター。これは映画からじゃわからなかった。多分、映画の中ではミレニアムブリッジとフランス・バルセロナ間の橋(みよー橋)とスイスの家とアップルキャンパスだった気がする。いや、それ以上にすさまじい数の建築が数十年のなかで起ち上がっているんだな。
映画の中ではスキーするおじさんだったけど、これはかなりの組織設計だな、とかも考えてしまった。
ちなみに行ったことがあるのは、ミレニアムブリッジと大英博物館か。日本にも住宅があることを初めて知った。
・宇宙建築のリアリティ
さすがフラーから継承されている、というかなんというか。
最小の資源で最大の空間を。という意味での合理性は確かに宇宙に近づくよな、と思った。
・ゲーリーと似て非なる
どことなくゲーリーみがあるんだけど、違う。ゲーリーは生産のシステムを考えていて、規格化することや生産ラインを組むことを考えていた。フォスターは、大英なんかがそうだけど何千枚のガラスがすべて異なる大きさらしくて、そんな施工泣かせあるかよって思った。だけど、環境面を見ているのはフォスターかも。あとガウディじゃないけれど構造と形態の一致も。洗練されている。
ゲーリーと近いなと思ったのはどこだろう。作っているもののスケールかな。公共建築といい住宅といい、あんまり言葉にならないけど似ていると思った。
・マギーズセンター
気に入ったのはマギーズセンター、癌患者の療養所とでも言うのだろうか。フォスターは実作が多いなと思ったので、模型がプレゼンボードに載っているということにまず親近感を覚えてしまった。Photoshopがそこに介入してそうな感じがたまらん。建ってしまうといつも圧倒的すぎるからかな。
ということでドレスデン駅といい、ドイツの国会議事堂といい、わくわくする〜。ちなみに森美のあの場所はぽかぽかな今日にはすごく不適切だった。暑い。フォスターの展示をする場所とは思えない。あつい。
デジタルメディアと日本のグラフィックデザイン その過去と未来
@HUB
手短に。過去のデバイスのほうが低度で今のデバイスのほうが高度のはずなのに、古いMacとか見て「使えない」「使いづらそう」「使い方忘れた」と思ったから不思議だ。インターフェイスも時代とともに変わっているし、操作性も向上しているんだな、とほとほと思った。しかし、それってどうなのかな。以前も感じたことだけど、「作り手の技術の向上」があるがゆえに「使い手の操作がやさしくなる」のだ。もちろんいいことだけど、作り手と使い手に乖離が生まれていくことでもあるな、と思っている。今のあいふぉんなんて自分で作れないじゃん、無理じゃん。いや、昔の電話でも無理だけど。
しかしやっぱり電子音ってなんで気持ち悪いんだろう。テクノ音なら好みなのに。その差異を探っていくことが今後の課題です。
第19回文化庁メディア芸術祭
@新美
去年も行った気になってたけど、あれはまた別だったのかな。違うものだった。
・Gill & Gill
映像作品(16分21秒)Louis-Jack HORTON-STEPHENS [英国]
ちょっともうフライングして書いたんですけど、これがとても良かった。Stone is dialogical. 石は対話可能だ。もはやショートフィルムであり、映画館で観たいと思ったらちゃんと六本木のTOHOでも流したらしく、納得。美しいなあ。岩に向き合う、年齢も性別も職業も違う二人が、岩を通して会話しているようにさえ見えた。碑文彫刻家のGillの彫ったフォントの溝でわたしはしあわせになれる。
・真鍋大度について
Perfumeちゃんがエンタメ部門として展示されていた。この角度から見ると、三人は立派にアートとして成立していて、悔しい。たくさんのクリエイターの中で、クリエイターとして存在しうる。ああ、誰かの力によってアイドルの形を保っていた頃とは違うのだな。テクノロジーに飲み込まれゆく少女たちを見ていられなくなって目を伏せたことを思い出すよ。それでもやっぱり、かわいくて、好きだ。
やっぱり分からなさのある作品もたくさんあって、何を基準にこれは選ばれているのか首をひねってみたりした。これでこそメディアアート。全然分からなくていい、という感じがする。ちょっとあんまり時間がなかったために嫌悪感や不快感に向き合う時間はそんななかったが、マンガ部門なんかもあって参考になった。「淡島百景」の絵が好きなので、読みたい。あと、「花とアリス」まだ観てないこと思い出しましたよ。
想像と神秘のサグラダ・ファミリア
ガウディの、観てきた。タイミング逃し続けてやっとですよ。ざっくり抽象度高めの感想はさっくりfilmarksに投げたんですけど。filmarksの世界の狭さはどうにかしてる。インターネットとは思えない。あっち見たら友だちこっち見たら友だちですよ。まあ、それはいい。
オープン・スペース2015
@ICC
結構毎年行った気になっていたけど、去年行きそびれていたらしいと行ってみて思い出した。2012と2013は観たのかな。今日はおねえさんが話しかけてくれたので、ちょっと話聞いてみたけれど、うれしかったな。やさしい学芸員さんがいるっていうことだけで素晴らしい気持ちになれる。きっとこの人は作品にもやさしいんじゃないかなって思うから。
ちょっと以前ツイッターでメディアアートについて言及した時にオープンスペースについて考えたんだけど、こういうメディアアートはこわいよな。技術が五感を脅かしている感じがこわいと感じる。いつか自分の体がテクノロジーに取って代わられてしまうような恐怖がある。だからこそ、逆にメディアアートが気になってしまうし、ついいつも展示を見に行ってしまうんだけど。今年の展示は、やっぱり気持ち悪くなるような電子音や電磁波を残しながらもそこまで怯えずに観れた。
・鉄のやつ
ビル・フォンタナ《リニア・ヴィジョンズ》
いちばん気に入ったのはこれ。こわいんですよ、これも。ただ鉄板を製造するある一瞬を見つめているだけなのにスパークする光と湯気にすさまじい恐ろしさを感じる。あ、死ぬ、って思う。もっと言うなら「戦争」の風景に見える。鳥肌立った。
Vineが普及してからエンドレスリピートする動画に慣れつつあるけれど、なんなんだろうな。繰り返し繰り返し見ることの意味って絶対何かあるはずなんだよな。
・ジャグリング
グレゴリー・バーサミアン《ジャグラー》
おねえさん曰くこれは常設に近いらしいのに、過去見た記憶がなかった。パラパラ漫画やゾーエトロープの原理だよね。視覚が取られた、って思った。ストロボの中で生きることはできないな〜、と思いつつもこういう環境は気付かないだけで日常に溢れているんじゃなかろうかとも思った。
・森
高谷史郎《Toposcan/Ireland 2013》
美しい。画像が繊維みたいだった。というかデジタルが進んでもアナログ、例えば精巧な織物の美しさはこうして原理として残るのかもな。
そんな感じ。今年は数は少なかったような気がするけれど、さっくりと観れてかつ充実のコスパよい展示でした。11月で展示入れ替えしていたらしいから年2で来ればいいかも。
常設で床下に近代アート史のコラージュがあるけど、年々理解できることが増えていくのがうれしいからこれからも定点観測できるといいな。今年はダダイズムからロシア構成主義あたりのグラフィックが目にぱっと飛び込んできたのでわくわくした。タトリンとかね。これも星座。
星座広げるって言ったでしょ
特に全く意味はないのだが、はてブもいっこ作ったで!という、やつです。ほんとうははてダを作ろうとしたんだけど、ひとつのアカウントでひとつですって言われたしブはこんなに素晴らしくっておすすめよ、ダはほんとなんにもできないから、って書いてあったから仕方なくこっち選んだ。いいじゃんね、新しく作らせてくれてもいいじゃんね。まあでもマジレスするときっと移行したいのにサーバー重くされるの勘弁なんだろうから、いっか。
さ、ここには何を描こう。もっとわたしの書きたいことを書きたい。どうしよっかな。わくわくする。大層じゃないことを書きますね。とても読めたものにはならないかもしれないけど、いいじゃんいいじゃん。読めそうなものだけ表に置きます。ここはわたしの星座を広げるところ。この間オトナに「いいね、今は星座をたくさん結べる年頃だね、こう、ブワーッて広がる瞬間が楽しいんだよね、映画でも学問でもなんでも、ね」と言ってもらったのがうれしくてうれしくてじゃんじゃん使っている。許可はもらった。星座、星座。広げるぞ。