星座早見図

mapping of stars

本を読んだ夏、日本の小学校教育ここにあり

 

小学校のとき、必ず夏休みの宿題に読書感想文なるものがあったじゃないですか。わたしは好きだったんだけど。ちゃんと書いたらおとなにたくさん褒めてもらえるから。

あの教育は日本人にDNAレベルで刻み付けられている記憶で、夏になると必ず本をたくさん読もう!という気にさせられる。毎夏、毎夏、「今年は本を読む夏にするぞ」って心の中でつぶやく。意味があるかないかはさておき、そういう感情を日本人全体と共有しているような気が、ときどきする。

 

まあ、結局いつもあまり読めずに終わるんですけどね。

 

しかし、この夏は思いの外読めたなー。そんなわけでわたしの読書ピークは小学校だったのだけど、それ以来なん年ぶり、10年ぶりくらいかもしれないけど、それくらいの感じで本を読んだ夏だった気がする。

 

読書ログ。

 

 

みずうみ

みずうみ

 

 

 

ナラタージュ (角川文庫)

ナラタージュ (角川文庫)

 

 

 

よだかの片想い (集英社文庫)

よだかの片想い (集英社文庫)

 

 

 

きみはポラリス (新潮文庫)

きみはポラリス (新潮文庫)

 

 

 

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

 

 

 

この世は二人組ではできあがらない (新潮文庫)

この世は二人組ではできあがらない (新潮文庫)

 

 

 

世界地図の下書き (集英社文庫)

世界地図の下書き (集英社文庫)

 

 

六本木クロッシング2016:僕の身体、あなたの声

@森美

 

セーラームーン展行ったらこっちも入れた。別の機会に、と思ってたけどラッキーだったので見てきたよ。恒例の六本木クロッシング

 

ざっくり雑感は、今年弱めだったよな。六本木クロッシングは、オープンスペースほどではないけど、やっぱり表現工学的だと勝手にジャンル分けしてるので、もっと五感にギュンギュンくるイメージだった。今年は、身体性みたいなところにフォーカスしているからなのか、むやみやたらに感覚に訴える感じではなかったかも。

 

好きだったもの

・日出ずる/小林エリカ

サンライズ・セレナーデ

美しくて鮮烈で、でもなんだか痛々しくて、ギュってなる。スパークする光をあれだけさらっと表現できるのがいい。

 

・(不)可能な子供/長谷川愛

新美でも見たけれどMITの。わたしの受け取り方が変わっていて驚いた。わずか半年くらいの話だけれど、刻々と社会情勢は変化しているし、わたしのLGBTというマイノリティへの解釈も変わっているのかなと思った。

個人的には、今、確実にそういったマイノリティへの関心が高まっていて、より良い方向へと変化の途中にあると思っている。過程にすぎないけれど、ちょうどいい、とさえ思う。今の感じがちょうどいい。マイノリティにはいろいろ種類があって、認知が拡大することでマイノリティでなくなる可能性のあるものもあるけれど、LGBTというマイノリティはおそらく一生マイノリティだ。マジョリティになることはない。だから、状況が良くなってるとはいえ、考えることを、伝えることを、その努力を、やめてはいけないのだとも同時に思う。LGBTがスタンダードになる未来はないと思っているけれど、LGBTという人たちの存在を当たり前に受け止められる層がマジョリティ、スタンダードになる日を目指して。

セーラームーン展

@森美の下のスカイギャラリー(?)

 

セーラームーン展行ってきた!うっきうきで行ってきた!

家族に「お前大学生だろ」とか言われたけどなんのその、大好きだ、セーラームーン。遺伝子レベルで大好きだった。

 

正直これっぽっちもストーリー覚えてなくて、何と戦ってたのかもわかんなかったけど、わたしはセーラームーンごっこやったらいつだってセーラーマーキュリーがやりたくて、周りはちびうさかルナをやっていた。幼稚園生には火野レイちゃんはまだ早くて、美奈子ちゃんはちょっとかわいすぎて、うさぎちゃんはセンターは緊張するからできればやりたくないけど誰かがやらなきゃいけないからやる、みたいな感じだった。わたしたちのセーラームーンにはストーリーなんて存在しなくて、「うさぎちゃん、ご飯できたわよ〜」とか「大変!弟が来た!うさぎちゃん変身して!」(これルナのセリフ)とかだったね。

 

かわいかった〜。思い出せてよかった。セーラームーン好きだって思い出せてよかった。とても並んだし、携帯の電池切れるし、物語の相関図とかちっともわからないし、でもよかった。所有欲ありすぎてポストカード買っちゃったよ。時々眺めよう。

 

たくさんの原画を眺めながら、また宝塚のことも考えてしまった。好きになって当然という感じがする。セーラームーンと宝塚、同じ理由で好きな気がするもの。いつもセーラームーン役を引き受けてくれていたあの子は、神戸に引っ越してしまったけど、この間宝塚の話を振ったらすごくうれしそうに返信してくれた。元気かな。たぶんあの子も、わたしと同じきらめきを見てたんだと思う。

 

小さいころ好きだったものは懲りずにずっと好きでいられる。

言いたいことを言うスタンスを貫きたい

そちらが聞く姿勢を見せたのなら言うよなあ。そりゃなんだって言いますよ。言いたいこと言います伝えたいから言います悪いことでも言います。だって「そういうのも受け止めますよ」「聞くよ」ってスタンス見せてきたじゃん。そりゃ言うでしょ。言って何が悪い。もし、言われることがいやならばそのスタンス見せるわけないでしょ、その線引きくらい分かってやってらっしゃると思いますよ、何せ頭がいいから。アイドルとファンなんて一方通行が当たり前だったじゃないですか。一方通行ですよ、って知らん顔してればいいじゃないですか。でも双方通行なのかもという希望をそちらが見せたらそりゃあ通りたいですよ、その道路。だから、まあ、そういうことだと思うんです。本人が「言ってくれていいよ」ってGOサインを出したに違いないんです。そのメールを読んだ時点からそうなの!なのにファンがギャーギャー言って妨げたんだよ、勝手に言論統制しようとした。ネガティブな意見は伝えちゃダメですよ、って言った。え、なに、民主主義国家なのにまだ言論の自由はないんだ。出待ちかな?出待ちのお手紙なのかな?検閲を受けるのかな?アハハ。

 

おっしゃりたいことはわかります。好き勝手に言葉を選ばずに伝えたら、本人が読むんだから、傷ついちゃうでしょ、やめましょうってことでしょう。そうですよ。好き勝手に言葉を選ばずに伝えたらだめです。人を傷つけようと書いたらだめです。でもそれってネガティブな意見を封じ込めることとは違うよね?「わたしはこうしたほうがもっとよかったと思います」って伝えたらだめ?「なんでこうじゃないんですか?」って聞いたらだめ?興味だよ?聞きたくて聞いてるんだよ?「お前はこれをこうしなかったからサイテーだ」じゃないよ、「こうしたほうがよかったんじゃないかなあ」「こうしなかったのはなぜですか?」だよ。過去を掘り返して変えてくれって言ってるんじゃない。決定されたことをとやかく言いたいわけじゃないしひっくり返したいわけでもない。未来の話をしているんです。「私はこう思っていました」「次はこう改善されていたらいいなあ」未来の話です。別に採用してくれってことじゃない。参考にしてね、くらいの。いや、読まれなくとも書くことで伝えた気になりたいからかもしれない。自己満足に近いような。それくらいのスタンスですよ。

 

もういっそのこと「ぜんぶメッセージ読んでます」なんて言わなければよかったのに、と思ってしまうけどそれを言うことさえあなたは選んだ。言うべき、もしくは言いたいからそう言ったんでしょう。そういったことでどう受け取られるか理解した上でその選択肢を選んだに違いないのです。だから、読んでもらえる前提で書くじゃないですか。伝えたいこと伝えさせてくれよ!!!!!言いたいこと言わせてくれよ!!!!!人を殺さない程度にするから、傷つけないような言葉を選ぶから、できればあたたかい気持ちになるような文章にするから、言いたいことを言わせてくれ。言いたい相手に遮られるならともかく第三者が勝手にわたしの言葉を奪わないでくれと。

 

っと、まあ久しく伝える努力もしていない私は思いました。結局こうやって何も言わないサイレントマジョリティー(言いたいだけ)より発言するために時間を割いた、熱を持っていた人の方が偉いと思いますけどね〜。まあ、偉いとかじゃないか。だから、言うことは・伝えることは大事だから伝えてこうな。

混線

まあちょっと旅に出ていたので間が空いてしまったけど、帰ってきたのでこちらもそろそろ復活します。星、つなぐ。本当は旅先でもう星つなぎすぎて、なんなら線だらけになってこんがらがって却って星座わかんなくなってしまったのでそれを解す作業をしなければならない。やー、インプットしたわ。旅はいつも最高のインプットですね。処理しきれてないんだけど。

 

そして行きの飛行機3本、バスで3本、帰りの飛行機で4本、帰国してから6本映画見たのでそれも片付けよう。それにしても映画ひとりで観に行くっていう話をしたらいまだに怪訝な顔されるからほんと。いや、そんな顔されてもわたしはわたしの生きたいように生きますし。

スーベニア〜騒音の歌姫〜

書かなければならないのか...この感想......。めっちゃ気が重い。いや自分で自分に課しているだけなので書かなくてもいいんだけれど。

 

たぶん、題材は悪くない。悪くないんだよ。映画にもなるくらいなんだから。それに現地では評判のミュージカルではなかったの?(知らないからわからないけど)

・下手な歌を聴くというストレス

聞ける歌と聞けない歌っていうのがあると思うんですよね。しかもずっと、何度も、聞かされるのはけっこうきつい。でもこれって脚本がいけないんでしょうか?だからちょっと映画を楽しみにしているけど、予想では「脚本と主演が合っていない」に一票。この脚本を上手に味つけられる技量が主演にないんだろうな。

・しかし脚本がうまいというわけでもない

うん.......。たぶんだけどわたしなら桐島方式で脚本書くのがいいと思う。感情移入しやすくない?観客が好きなように「歌姫」を思い描けるんですよ。だって、描ききってしまって提供された「歌姫」像に共感できないし好意も持てないのになんでまわりの人たちはこの人に魅了されてるの?って話ですよね。なんでなんだ。

映像は2Dなので、いつだって奥行きを残しておけるものだけど、演劇は3Dなので、その場にあるものがすべて。「舞台が真実」なんだろうな。だから工夫をして想像の余白を作らなくては。もしくは完璧な嘘(フィクション)を描かなくては、真実だと言えるほどの。

 

もうすでにこれ以上喋るの疲れたのでやめますけど、京本くんと菊地美香ちゃんは本当にかわいくてかわいくて。声も好き、見た目も好き、踊りも好き。いつか二人でミュージカルをやってくれたらいいなあという夢をひとつ描きました。

 

 

(ということで終演したので公開、ぽち)

まだ上があるって思っていたい

レビューサイトの点数ってみなさん何点までつけますか。わたしあんまり5点って付けたくなくてふつうが3点、よいが4点、すっごいよかったなあが4.6点のイメージなんですけど。結構こういうサイトにおける点数の定義ってみんなそれぞれでしょう。平気で0点をつける人だっているし。わたしはほんとうに冒涜だと思わなければ1点とかでさえ付けられない。だってその作品を選んだのはわたしで、わたしはわたしの数時間がその作品に費やされることを良しと思っているし、一瞬でも思ったわけだから。自分が可能性をかけたものが、完全に無為であったと認めるようなことは悔しいというか、少なからず自分の目に自信はあるので、0点や1点のレベルのものを選ばないはずであると、思っている(思っていたい)。あとは制作者へのリスペクトが基本的にはあるし。腹が立つほどでなければ、やっぱり重んじたいんですよ。だから、低い点数はあんまり簡単に付けたくないんだけど、同様に満点も簡単につけたくないですね。ああ、これより良いと思えるものに今後の人生で出会えないんだなって思ってしまうから。極端な言い方だけど。それは今後の制作側への期待でもありつつ、自分の目が持つ成長への余地でもある。まだまだわたしはいろんなものに出会う余地があって、この世界にはわたしの知らないすばらしいものがあって、今はなくともそういうものが生まれていくに違いない。そう、信じていたい。